渡辺 清 / 戦艦武蔵の最期

 これを書いている現在、本書は絶版で、古本か図書館に頼らざるを得ない状況にある。証言のひとつとしての価値を考えると、本書を絶版のままにしておくのはどうにも惜しいように思う。幸いにも古本で比較的安価に入手できたので、新書サイズ300ページ弱の本のキモの部分と思われる所を引用しておこうと思う。

 

 おれは志願して軍艦に乗るまで、戦争のなんであるかについてはまるで知らなかった。あまりにも知らなさ過ぎた。また進んで知ろうとも思わなかった。それまでのおれの戦争の知識といえば、せいぜい雑誌の口絵か写真、それにもっともらしい戦場美談ぐらいなものだった。そこにはおどろの死の恐怖も、苦しみも、血の臭いもなかった。なにもかも童話の世界のように美しく華やかで、死ですらそこでは妙に明るかった。そしておれはそれを早とちりに戦争そのものだと思いこんでいたのである。それにまわりの大人たちや学校の先生でさえ、戦争の真実については、何も教えてくれなかった。教えてくれたことはただ一つ、「国のために死ね」‥‥だが、そのさかしらな幻影も教訓も、最初の砲弾の一発でみじんに砕けてしまった。大人たちや、ものを教えることを職業とする先生が教えてくれなかったことを、一発の砲弾が教えてくれたのである。そしてその時になって、あのもっともらしい戦場美談も、極彩色の雑誌の口絵も、すべては虚構にみちたおぞましい砂の城だったとわかったのである。

 (中略)おれは今日、たくさんの人間が苦しみ、たくさんの人間の血が流れ、たくさんの人間が死んでいくのを見た。そしてその死は、おれが娑婆で考えていたような「勇ましい」ものでもなかった。「立派なもの」でもなかった。「美しいもの」でもなかった。その死は一様に醜く無残だった。そしておれはそれをこの眼で見たのだ。

 

――朝日選書197 渡辺清 / 戦艦武蔵の最期 頁204-205 リンクは引用者が独断で張った。

 

 具体的にどう「一様に醜く無残」であるかは本書に嫌というほど具体的に書いてある。相当にキツい内容である。私がキツいと言うんだからそれはもうキツい。私が周囲の連中と話していて、連中に欠落していると思っている視点がこれである。連中は自分が総司令官的なポジションに座って後方にあって全体の指揮を執る立場に立てるとでも思っているのか、こうした一兵士が実際どういう目に遭ったに関する話題が全く出てこない。この視点を外してあらゆる戦争ゲームを語ることは、そのまま最前線の兵士の視点を欠如し、まあ戦争はこういうもんだから、という遊戯版の上での遊びのような感覚のまま部隊をあっちへ進めてこっちへ進めてボタン一つでハイ攻撃、である。そのゲーム自体に罪はない。ゲームはそもそもエンターテイメントである。エンターテイメントである以上はエグい部分を直球で描いては娯楽でなくなってしまう(一部の例外もあるようだが)。我々が戦争ゲームを楽しむ以上、その絵空事の娯楽であるが故にカットされた要素を察知して補完するのは我々ユーザーの役目である。

 

 仮にプレイヤー各自がすでにこうした考えを確立しているにもかかわらず、コミュ力のためにあえてそれを封印しているような漠然として空気が出来上がっているのであれば、状況はかなりマズい。そういう事を口にするのが憚られる空気が出来上がっていることになる。15年戦争の末期では35歳の男も何かと理由をつけて赤紙で引っ張られて最前線に配備され、南方に配備されてマラリアで落伍したところを捕虜となった。当時の日本が不足する兵士をうまい具合にペテンに引っかけて35歳の中年に差しかかった男と兵士として徴用した経緯については、大岡昇平の「出征」という短篇に書かれている。大岡昇平は「俘虜記」「レイテ戦記」で有名だが、まずはこの「出征」という短篇から入るのがいいと思う。これは図書館の現代文学全集あたりで見つけることができると思う。

 

 同じ武蔵でも、配備された場所により戦闘の印象はだいぶ変わったようだ。本書の主人公は最も航空機からの攻撃に曝されやすい機銃に配備されている。戦争の様相はだいぶ様変わりしていると思うが、どこにも貧乏くじを引く者はいるものだ。で、貧乏くじを引くのはたぶん戦争ゲームにハマっている我々で、貴方も若ければ若いほどリスクが高くなる。

 

 「戦争には行きません」と勇ましいツイートも散見するが(別にこれをつぶやいた人間を dis ってる訳ではなく、まあたまたま目についただけに過ぎないんですが)、じゃあどうやって戦争へ行かないのか、具体的に予想される事態とそれに対する対処を周到に考えておく必要がある。おそらく現実はそんな机上の前準備など木っ端微塵に粉砕して「問答無用」で襲いかかってくると思うがね。

 

 ところで今はもう戦後ではないようだ。じゃあ何かと言うと、今は戦前だそうだ。おっかねぇ。数年前に岩波から五味川純平の「人間の條件」が刊行されたので(上)(中)(下)、今のところはまだマシと言える。事態が悪い方向へ進めば、おそらくこの手の反戦・反軍の文章は機を見て絶版扱いとなり、古本屋からもいつの間にか姿を消すことが予想される。先の戦争で酷い目に遭いつつ生き延びた老人は、これからの日本は再度戦争に首までどっぷり浸かることになることを予言している。資料は今のうちに集めておいた方がよさそうである。