東海林 智 / 貧困の現場

 先日に読んだ、クローズアップ現代を書籍化した「助けてと言えない30代」と合わせて考えると、どうも派遣の中にも「勝ち組」と「負け組」が存在するような印象を受ける。「負け組」とは本書などで取り上げられている、用が済んだらそれで切られて明日からどうすればいいのか分からない、路上生活一歩手前、あるいはすでに家賃を払えなくなり路上生活を余儀なくされてしまう人間である。本書ではこれら「派遣の中での負け組」の悲惨な現状などを取り上げている。

 一方で勝ち組とは、フルタイムの長期雇用を前提とし、企業のプロジェクトの一翼を担うことを期待されてその職場に派遣されてきた者を言う。当面の生活は安定しているように見える。私の時給は1500円を越えた。勤務時間は前述の通り、週5日、おおよそ9時から17時30分くらいまでのフルタイムである。残業代も出る。外回りの営業交通費も全額支給されたように記憶している。具体的な契約期間は提示されていない。最初の段階では、長期で働いてくれればいつまででもOKというスタンツだった。職場は「お前など所詮は使い捨て」という雰囲気はなかった。正社員からは、たとえ派遣と言えど、私を育てようとする意志が明確に感じられ、事実、実地的な教育を受けることができた(そこで得たものは非常に大きい)。半年・1年スパンで同じ職場・同じ同僚と仕事をすることで、人的コニュミケーションに関して言えば、本書で言及されている「派遣さーん」と呼ばれたことは一度もない。必ずや「○○(私の名前)さん」である。

 

 本書に登場している、勤務時間が過労死ラインを軽々と越え、しかもそれがサービス残業であり、超過勤務で鬱病となり心身ともにボロボロになり正常な社会生活を営むことが困難になり、家を持つこともできなくなった人間から比べれば、私はまだ恵まれた環境であるように思う。しかしこの「勝ち組」の中から転落している者も居る。

 

 私が派遣会社から求められたのは、スパイ活動である。派遣先の動きを逐一派遣会社へ密告することが良いこととされ、それを行うことで褒められ、評価された。雇用形態は企業から派遣会社への委託、そして派遣会社から私へは個人委託という事になった。当然、各種の社会保障への加入など、その存在を知らされたことなど一度もない。そもそも制度としてそんなものがあるとは知らされてすらいなかった。私がそうした社会保障の対象になるか、などという情報など皆無であった。知らないものにアプローチする事などできる訳がない。これを情弱と切って捨てることは簡単であり、事実その通りである。派遣で働いている人は、私の経験則上のアドバイスとして、社会保険などに関する制度や法律についての知識をつけておくことをお勧めする。

 さらに複雑方程式が追い打ちをかける。私は派遣先企業の一員として、私が所属している派遣会社に仕事を依頼するポジションに置かれた。依頼を受けるのは私に指示を与え、私に給料を支払う、私が所属する派遣会社である。私は派遣先では彼らのお客様として振る舞うことが求められた。が、一歩外に出るとその関係は逆転する。派遣会社の事務所で、私は「こういう動きを求めている」と要求される。派遣先の企業のために動こうとすれば、派遣会社の思惑に反する。逆も然り。この二律背反なジレンマは精神的な負担となってのしかかってきたが、それでも当面はうまく行けた。

 

 上記の職場へ行くまえ、5年ほど別の職場で働いていた。ところが私の働く部署が利益を上げていたため、職場としてのノルマを上方修正されたあたりから崩壊が始まった。ノルマが設定され、「あそこに任せておけば、我々が要求したこと以上の仕事を自主的にやってくれる」(※)すなわち作業クオリティによってつなぎ止めていた信頼は、「言われた事をやってりゃいい、それでもぎ取れるだけもぎ取る」という方向へ転換したことで一瞬で崩れた。古参の人間は危機感を抱き、それではいけないと主張したが、所詮は派遣の言うことである。上の方針転換には何ら影響力を持たなかった。クライアントはそれを敏感に察して、我々に依頼する仕事の内容を変化させた。現場で働いていた私はちょうどリーダー格にまで登っていたが、これが良くなかった。職場の上長(正社員)と、私のチームの人間(部下と言うニュアンスはこの場合ガチガチすぎるように思う。私のポジションは、あくまで正社員と仲間の派遣の橋渡し役に過ぎない)の間で板挟みとなった。知らない間に心労がたまったらしく、どうも睡眠障害の兆候が見えた。睡眠薬でも出してくれるだろうと診療内科へ行ったら鬱病と診断された。

 

※この当時の職場の雰囲気は和気藹々としていた。派遣と言えども正社員は自分と同格に扱っていた。最終的な決定権は正社員が持っていたが、派遣に自由にやらせ、「好きにやれ、責任は自分が取る」という方針だった。遅刻した場合、理由の如何に関わらず事前に連絡を入れればタイムカードを定時に押した。理由は、走ってきて体力の回復に30分費やすよりも、歩いて10分遅れた方が効率がいい、という考えによる。就業中にうたた寝していても許された。なぜなら、うたた寝することによる効率の低下よりも、眠い中で作業してミスするリスクを恐れたからだ。そのかわり、ロスした分は何らかの形でカバーすることが望ましいとされた。強制ではない。これにより残業となった場合はもちろん残業代がつく。就業時間中にサボった分、定時にタイムカードを押してから残業する人も多かった。残業中にタイムカードを押してもう数十分というケースも多く見られた。30人規模の職場で、派遣も含めた従業員全員がその意図を理解していたからこそ成り立っていた方針であろう。

 

 古参は、辞めるか、現状を受け入れて割り切って自分のやり方を変えるかの二択を迫られた。多くの古参は「君には問題がある」と言われて切られたか、自ら出ていくように仕向けられた。一部はうまく立ち回り、今でもその職場で働いているらしい。私の場合は体調の悪化も含め、新しくやってきたコストカッターに「君のやり方には問題がある」と目をつけられた事を機会に逃亡に近い形で三行半を突き付けて即日で勤務をストップした。フルタイムと言えど雇用形態は日雇い同然なので、それに対するトラブルは発生しなかった。

 

 その当に時知り合った人のつてで別の派遣会社に登録し、体調の悪化もあったが、とにもかくにも働かなければ食っていけない、家賃も払えない。新しい派遣会社へは私の前の職場での職務内容を携えて行った。まずは1週間ほどの短期の派遣で慣らしてみてはどうか、という配慮から、1週間ほどの短期の仕事を請け負った。ここで、本書に書かれている派遣同士のコミュニケーションが欠落するという状況を体験した。確かにその通りなのである。仕事を教える・教えない、というほど凄まじい状況ではなかったが、複数の派遣会社による合同プロジェクト、しかもメンバーは毎日異なる。交流を深める余地などないのである。

 

 続いて派遣されたのが最初に書いた職場である。これも当初は問題なかった。が、本書に出てきたコンプライアンスという言葉がここで出てくる。社の方針として外部の人間を入れてはならぬ、というものらしい。業務は子会社に委託された。この委託にあたって、親会社・子会社・派遣会社それぞれの解釈の違いにより、三つ巴の内ゲバが繰り広げられた。その中間地点にあったのが私である。体調は一気に悪化し、仕事は休みがちになった。遅刻の連絡、欠勤の連絡を勤務先に入れると「了解しました、お大事に」という理解ありそうな返答が来るが、後日、派遣会社の方へは掌を返したようなクレームを入れていることが判明した。勤務先の上長と相談し、しばらくは自宅療養という形にしてもらった。ところが自宅でも電話対応などの業務依頼の電話がガンガンかかってくる。もはやこれでは場所が変わっただけで仕事をしているものと変わりがない。私に給料を支払っている派遣会社の担当営業に、「これでは休養にならない。実際に仕事をしているので、その時間を記録してタイムカードをつけていいか」と電話で相談したところ、「給料は支払えない」と突っぱねられた。これを境に、この仕事に対する一切の業務連絡・業務依頼を断った。

 

 仕事がなければ食っていけないどころか、家賃も払えない。最初の数ヶ月は実家からの仕送りで何とか過ごしたが、年金暮らしの実家には私の生活費全額を捻出するだけの余力はない。一度実家に身を寄せることにした。引っ越しの準備をしたくても、もう何が何だか分からない。グズグズしている間に引っ越しの日時だけは迫ってくる。辛うじて目に付くものを全てダンボールに放り込み、引っ越し前日の夜、マンションの資材ゴミの捨て場に空き瓶を捨てていたところ、どこからか「やかましい!!」と罵声が飛んできた。これで完全に参ってしまった。翌日に引っ越し業者が来た時、部屋は散らかったままだった。朝のうちに両親に応援を頼み、引っ越し業者が積みきれなかった荷物を車に押し込み、逃げるように都内から房総半島へ都落ち。以後、ここでブラブラしている。

 

 働くことを諦めた訳ではない。アルバイトの面接を受けたが落とされた。近所の動物保護NPOへボランティアとして参加したこともある。詳細は省くが、動物保護NPOと慈善団体のように見えるけれど、内情は凄惨たるものである。回復しかけた体調は再び悪化し、リタイヤを余儀なくされた。

 

 その少し前、猛烈な自死衝動に襲われた。とりあえず死のうと思い、楽に・確実に死ねる方法を探し、必要な道具を買いそろえた。今でも部屋の隅に道具がある。死のうと思えばいつでも死ねるし、なぜ今に至るまで生きているのかさっぱり分からないが、何かに没頭して気を紛らわすことで「とりあえず今日は生き延びた」「今日も生き延びた」という状況である。本書の派遣社員の言葉にある、他人を殺すか自分が死ぬかしかない、というような言葉はいよいよもって私を追い詰めにかかっている。なるほど、ならば他人を殺すよりも自分が死んだ法が宜しい。死ぬか、という具合である。

 

 家族は私がなかなか社会復帰へ向けて動こうとしない事に苛立ってきている。当然である。年金暮らしの高齢夫婦なのだから、それがいつまでも続くことはあり得ない。おまけに私が転がり込んできたことで会計は圧迫されている。ひとまず減薬になるまでは、という雰囲気になっているが、やはり減薬はまだか、減薬はまだか、という無言のプレッシャーがかかっている。主治医は何を考えているのか、減薬のゲの字も出さない。転院しようにも、房総半島で私の家から行ける距離に精神科がいくつあると言うのか。

 

 本書の問題提議は有意義と感じる。問題は問題と認識されて始めて問題となる、というのは児童虐待の本を書いた斎藤学の言葉であり、なるほど確かにと思った。しかしここに取り上げられているのは誰でも「ひどい」と思えるような事柄に限る。ここに文章で食っている人間の限界を感じる。もちろん著者が怒りを感じて本書を執筆したことは伝わった。これは世に出すべき本であるとも思っている。しかし、そのどこかにワイドショー的感覚を感じる。世の中にはこのように悲惨な人々がいる、どうよ凄いだろ、悲惨だろ、てな具合である。してがった、そのような人から順に助けていくべきである。当然だろ。オマエは後ね、こっちは生きるか死ぬかの人で忙しいし。人もカネも不足してるし。後回し。とりあえず家の中で暮らしてけるんでしょ? じゃあ自分で頑張りな。行間からそのように見えて取れる。これは自意識過剰な妄想か。人は妄想で死ぬ生き物である。本書で取り上げられている労組に連絡しようとは思わない。「一応実家で暮らしていけてるんでしょ? じゃそこで頑張れば?」と言われてしまいそうな雰囲気を行間から感じるからである。それを言われたらいよいよオシマイとなる。

 

 最底辺のケースのみを取り上げたのが本書の功罪における罪の部分だろう。私は最底辺でない事を知っているが、単に「最」底辺でないだけに過ぎない。仕事はするべきだと思っているが、精神疾患の爆弾を抱えたまま見切り発車して何度も失敗しているので次の一歩を踏み出せない。病状は平行線で全く先が見えない。そしてこの本は私の立ち位置について無関心であると感じる。こういう文章をウダウダ書かせている程度には、本書は私を追い詰めてしまった。

 

 さて、これからどうしよう。